県下随一・彼岸花の名所 神々のふるさと「葛城古道」(9月25日(金)第41回例会報告)

コース:JR和歌山線・御所駅~葛城公園~鴨都波神社~一言主神社~九品寺~番水の

    時計~六地蔵~鴨山口神社~JR和歌山線・御所駅・近鉄御所線・御所駅

    (JRふれあい 13Km) 

 今回の例会は大和朝廷以前より

悠久の歴史を誇る御所市(ごせし

)です。

 日本の原風景・故郷という言葉があまりにも似合う葛城山麓を走る神々のふるさと・数々の古代神話の舞台であった「かつらぎ古道」を巡りました。

 古代の人々が様々な思いを運んだ路であり素晴らしい里山・田園風景が続きます。

 近畿随一「彼岸花」の名所・群生地としても知られ、秋の旬、鑑賞ウオークです。

 

 昨夕からの雨が朝まで残り出ばなを挫くかれました。参加者は皆無?との思いでしたが、スタート時には天気も急速に回復して青空も見え様変わりの天気になりました。

初秋の絶好のウオーキング日和になりました。

 

 速報では参加者は約150人と、想定外の多くのご参加を頂き、驚きと感謝で一杯です

。青空の下、市役所隣の葛城公園からの出発しました。葛城川を上流に向います。よく整備された歩き易い遊歩道でした。葛城川の水は清く心が洗わるような静かな流れです

。白鳥も水遊びしていました。前方には、大和と河内にまたがる金剛・葛城連山(959m)が迫り、山頂は朝までの雨の影響かガスが掛かっていましたがケーブル駅までも見渡せました。雨上がりで空気が澄み山々が深緑に覆われ、その悠々しい姿に尊厳ささえも感じさせました。

 

 葛城川から別れ青翔高校グランドを過ぎ左に大きな鳥居が見えてきました、鴨都波神社参道入り口です。鎮守の森のように樹木が生い茂った下鴨社の通称で知られる鴨都波(かもつば)神社に到着しました。古代の大豪族・鴨(かも)氏の氏社です。本殿右横には、イチイガシの巨木がありました。(3.75m 県下51位)

 

 列詰め小休憩後、国道24号線から小集落を抜け、美しい田園風景が広がってきました

。この周辺から田んぼの畔という畔に彼岸花の群生です。朱色の曼珠沙華が一面に広がる光景は圧巻です。彼岸花は約束したように、毎年「彼岸」に見事な花を咲かせます。遠くからも棚田が真っ赤に染まり、まさに旬の花満開です。この美しい光景は秋の風物詩です。

 

 集落を抜け一言主神社の鳥居をくぐり参道を進むとると、山麓に鎮座する「一言主神社」(ひとことぬしじんじゃ)に着きました。この神社はかつらぎ古道の中心付近に位置し、願い事を一言だけ聞いてくれる「イチゴンサン」として地元の人々に親しまれている神さまです。(この神社にもイチョウの巨木3.9m 46位が有りました)神社周辺は最大の彼岸花群生地です。境内から見下ろす棚田・田園には驚くほどの彼岸花が密集・真っ赤に咲き乱れ花爛漫です。

 

 最近は、開発と都市化がどんどん進んで来た為でしょうか、彼岸花の群生をあまり見かけなくなりました。しかしここは別世界、まさに天上の紺と曼珠沙華の天舞です。

写真を撮るカメラマンや観光客も多かったです。神社周辺で悠々の昼食タイムでした。葛城山は神々の鎮座する神聖な山です。

 

 午後はこの山麓に沿って「かつらぎ古道」ウォークです。古道と言っても今は田の畦道であり農道です。この辺りからは眺望が素晴らしく、眼下に奈良盆地・畝傍山はじめ大和三山もくっきりと望め日本の原風景・里山を満喫と云うところでしょうか。

 この辺りも彼岸花が密集・その鮮やかさに魅入るばかりでした。

 

30分位歩いたでしょうか「九品寺(くほんじ)」に着きました。寺の裏山の「千体石仏」が有名で自由見学としました。実数は2000仏を超え、参道の到る所に石仏がありその姿は夫々です。個々の石仏にはカラフルな前掛けが掛けられ寺を守る人の心が思われました。

 

 九品寺を出て再び、古道(畦道)歩きです。途中に「番水の時計」がぽつんと立っていました。貴重な水を田へ順番に流すための時計と言われ現在も使われています。取り残されたように立ち尽くす姿に風情があります。

 

 黄金色に染まり始めた稲穂・真っ赤に燃える彼岸花とのコントラストが碧い秋空と呼応し実に美しい眺めでした。行く道々で温かく迎えてくれる彼岸花は、あの鮮やかさが不思議と田んぼや里山の景観に溶け込み、自然との一体感を感じさせます。

 農村も機械化され、舗装道路・農道も増える中、かつらぎ古道は畦道や土を踏みしめる古道っぽさ・田舎っぽさも残しており、最高の故郷・里山気分が味わえました。

 

 六地蔵・鴨山口神社(鳥居前右にカヤの巨木4m 40位がありました)本日最後の列詰め小休憩行い一路ゴールを目指し大正小、大正中を経て御所駅に2時10分ゴール致しました。好天にも恵まれ、まさに彼岸花ディでした。ここには田舎を思い出させる郷愁があり日本の始まり・日本の原風景を感じての「癒しの道・かつらぎ古道」をお楽しみ頂けましたでしょうか?

 本日の参加者は144名・早朝の雨の中、遠方の不便な地に多数のご参加有難うございました。

 次回は 10月17日 (土) コスモス満開、「斑鳩三塔・斑鳩の里」散策です。

お楽しみに。多数のご参加をお待ち致しております。

「かつらぎ古道」

 金剛・葛城連山の裾野一帯は大和朝廷よりはるか以前に栄えていた「葛城王朝」の故地でした。ここを南北、約13Kmに走るのが古代の道で知られる「かつらぎ古道」です。この地を本拠にした葛城氏・鴨氏にゆかりの古社寺が点在する場所です。御所市一帯は神代の時代から数々の歴史の舞台となり、「日本神話のふるさと」とも言われています。田舎を思い出させる望郷の地でもあります。 

例会報告写真はここからご覧ください。

今回は漫歩マンさんお休みのため例会報告はありません。



初秋の東福寺と伏見稲荷「千本鳥居」から「竹の下道」へ(9月11日(金)第40回例会報告)

コース:JR京都線/京都駅~三十三間堂~泉涌寺~東福寺~伏見稲荷大社~竹の下道~

    琵琶湖疏水~稲荷公園~鴨川~JR京都線/京都駅(JRふれあい 15Km)

 心配された台風も過ぎ去り、清々しい青空です。初秋とは言えど残暑の残る京都・東福寺から伏見稲荷・竹の下道へと歩きます。その数1万基といわれる、朱色の華やかな「千本鳥居」をくぐります。

 JR京都駅から塩小路・東大路通へと出ました。下町の雰囲気漂う今熊野商店街に入り新熊野神社に参拝しました。神社には後白河上皇お手植えの樹齢900年の大樟が境内を圧倒していました。神社から二つ目の信号を左折すると「泉涌寺通り」です。景観は一変し、落ち着いた荘厳さ、神聖さを感じさせる静かな参道に入ります。木々に囲まれた緩やかな坂道を上がっていきます。上がりきった所に安土桃山時代の大きな御寺 泉涌寺「総門」が迎えてくれました。泉涌寺(せんにゅうじ)は真言宗泉涌寺派の本山で、皇室とゆかりが深いことから御寺(みてら)とも呼ばれ、由緒・格式のある風格が漂う寺院です。広大な敷地を有し、さまざまな塔頭寺院が点在、七福神も祀られています。正月成人の日には京都「泉山七福神巡り」として開放され、多くの若人や観光客で賑わいます。泉涌寺大門から下方向に仏殿がありますが、ここは入山料が必要なためパスです

。大門前で小休憩後、「月輪陵」を横目に東福寺に向かいました。霊雲院(由緒ある庭園)を過ぎると東福寺三名橋の一つ「臥雲橋(がうんきょう)」に着きました。東福寺手前のトンネル状の渡り橋で、観光スポットとして良く知られている重要文化財でもあります。臥雲橋からは、左側に洗玉澗(せんぎょくかん)と名づけられた渓谷と「通天橋(つうてんきょう)」を見ることができます。東福寺はもみじ・紅葉で有名・中でもこの「通天橋」からの紅葉が絶景です。境内の本堂と普門院、開山堂を結ぶ橋で通天紅葉とも呼ばれ、秋には真っ赤な紅葉の中に浮かびます。日下門から広大な境内に入ってきました。国宝指定の三門や、苔と敷石が市松模様を作る方丈庭園など見どころ沢山で

、本堂「法堂(はっとう)」の天井には巨大な龍が描かれており、その迫力に目を見張り圧倒されました。観光客、修学旅行生にも多く出逢いました。

 小休憩後、次の目的地、「伏見稲荷大社」に向かいました。無数の鳥居がそびえ、私たちにとって、もっとも身近な神社といえる「お稲荷さん」、全国に3万社強ある全国の稲荷神社の総本宮です。本殿のある稲荷山全体が信仰の対象となっています。 

 大鳥居をくぐると大きく立派な楼門があります。この楼門は、豊臣秀吉が寄進したもので、秀吉が母の病気平癒を祈願した願文が伝えられています。正面の朱塗りの豪華な本殿は重要文化財です。大鳥居から本殿・奥社へと続く境内・参道は人、人、人で一杯でした。外国人観光客の多いのにも驚きです。着物姿の若い女性(東南アジアの方?)も目立ちます。伏見稲荷は2014年には、2年連続で、外国人観光スポット人気NO.1

になりました。朱色の鳥居が山の上までも続く光景に神秘さを感じるそうです。

 フランスからの観光客に尋ねると「神聖にして、幻想的で、ほかにはない荘厳な光景です。人が多いのにもびっくり」と興奮した様子でした。朱色の鳥居がぎっしりとトンネル状に続く景観はまさに「朱と緑の魔界の神秘」です。途中に、一対の石灯篭がありました。「おもかる石」です。この灯籠の前で願い事を祈念し、石灯籠の空輪(頭)を持ち上げ、持ち上げた時、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶うといわれ、重ければ叶わないといわれています。千本鳥居(参道)は左右に2列に分かれていますが、人が多く、まさに数珠つなぎ状態でした。何か別世界に足を踏み入れたような幻想的な雰囲気を醸し出しています。

 奥社の手前広場で昼食と取りました。神木の茂る静かな場所です。 午後は、千本鳥居に別れを告げ、裏山の稲荷山から神宝神社に向かいました。神社には昔ながらの千代紙で作られた、色鮮やかな叶雛(かなえびな)が奉納されていました。この辺りは「竹の下道」といわれ、竹藪の中を石畳の道が続きます。竹・竹・竹の山です。竹取物語の舞台とも言われていますが、それにふさわしい景観です。やがて下り道となり竹林に囲まれたのどかな田畑風景が続きます。美味しい空気を吸いながらの静かなルンルン散歩でした。 

 舗装道路に出て、深草北陵・立命館高校跡・JR奈良線の地下道を超えると、満水の琵琶湖疏水に出ました。疏水は蹴上から宇治川へと放流されています。疎水沿いを上流に向かい稲荷児童公園で列詰め後、さらに疎水沿いをウォークし十条通りを経て陶化橋を渡り鴨川河川敷、岩本児童公園でIVVをお渡しし、一部の方は京阪電鉄七条駅へ、残り方は八条をへてJR京都駅八条口にゴール致しました。午後は少し暑かったですが川風に吹かれ、快適なウオークでした。参加者は285名でした。今例会も、多くのご参加を頂き有難うございました。お疲れ様でした。

 

 次回は 9月25日 近畿随一の「彼岸花」の群生地―「かつらぎ古道」を巡ります。お楽しみに。

 

伏見稲荷大社―千本鳥居とは・鳥居の数は?  

 伏見稲荷大社は,京都市伏見区深草に位置し,全国に約3万社強あるといわれる稲荷神社の総本宮です。千本鳥居とは,境内の後方にある稲荷山(お山)の奥宮から奥社に続く参道に密集して建てられている鳥居です。朱塗りの鳥居が二筋の参道に隙間なく立ち並ぶ辺りからを「千本鳥居」と呼び、鳥居はトンネル状に山(稲荷山)の上まで続いています。

 この辺りは神の降臨地であるお山の入口に当たり,現世から神の坐す幽界への関門として多くの鳥居が建てられたと考えられています。鳥居が二筋の参道に,左右二本併行して立ち並べられた理由は不明ですが,おそらく両部思想による金胎二界を表したものではないかといわれています。

 これらの鳥居は,江戸~明治時代に参拝者の奉納により,建てられはじめました。

鳥居を献ずることによって,願いが「通る」という語呂合わせから生まれた信仰だとされており,願いが「通る」たびに,鳥居を大きなものに変えて奉納する風習もあります。

 鳥居の数は,日々、変化し、数え方にもよりますが,稲荷山全体で約1万基,そのうち千本鳥居には約800基といわれています。

 木製のため雨や風による影響を受けやすく,新陳代謝が激しいため,平均して1日に3本弱を新しく建てたり,修理しているとの事です。

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